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    流山市の歴史に触れる旅へ|白みりんの伝統と新選組の遺構を今に残すまちが描く未来のストーリー

    千葉県北西部に位置する流山市。現在ではつくばエクスプレス沿線の開発により、新興住宅地として注目を集めていますが、一方で、古代から続く長い歴史と文化を今に伝えています。

    本記事では、旧石器時代から現代に至るまで、流山市の歴史を紐解き“みりんのまち”として栄えた背景や、幕末の”近藤勇”ゆかりのエピソードなど、流山ならではの物語をお届けします。

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    古代の流山|旧石器から環濠集落へ

    流山市内には、約3万年前の旧石器時代の石器が出土しており、地域で最も古い遺物として知られています。縄文・弥生・古墳期も含め、多数の遺跡が点在し、台地上に竪穴住居跡や環濠集落跡が確認されています

    現在、西平井や加村台遺跡などからの出土品は、「流山市立博物館」などで展示され、子どもたちの郷土学習にも活用されています。環濠集落の痕跡も紹介されており、歴史教育の場として重要な存在です。

    また、これらの遺跡は市内各地に点在し、身近な場所で古代の生活に触れられる貴重な地域資源となっています。

    ぐるっと流山 発掘でたどる流山の歴史|流山市

    常設展示(1 掘り出された流山)|流山市

    江戸時代の流山|水運と白みりんで栄えた商都

    江戸時代、流山は江戸川水運の要衝であり、白みりんを中心とした醸造業で賑わっていました。1772〜1781年には、初代の堀切紋次郎がみりん醸造を始め、その後、1814年頃に「白みりん」が本格的に製造された記録があります。

    このみりんは江戸で高く評価され、流山市には船着場から高瀬舟で日本橋へ出荷されていたとされ、当時の商家や酒蔵跡は今も歴史的建造物として残されています 。

    現在でも本町地区には白みりんの歴史を体感できる施設が多く、「白みりん発祥の地」として観光資源にもなっています。

    常設展示(5 白みりん発祥の地)|流山市

    流山のみりん醸造用具/千葉県

    白りんの歴史は流山から始まった!武田塾南流山校のブログ

    幕末の流山|新選組・近藤勇の滞在地

    1868年の戊辰戦争において、新選組局長・近藤勇は、旧幕府軍の一部である「甲陽鎮撫隊」を率いて流山に陣を構えました。滞在先は、当時の酒造家・長岡屋(のちの秋元家)の屋敷内であり、ここを本陣として戦局の行方を見守っていたと伝えられています。隊士たちは4月初旬に流山へ集結し、近藤は同月3日に官軍へ自首。これが新選組崩壊の一端ともなった歴史的事件の舞台でもあります。

    この出来事は、幕末史の重要な一幕として知られ、流山には現在も「近藤勇陣屋跡」の石碑や解説板が設置されています。JR・流鉄の流山駅から徒歩すぐという立地もあり、地元の小中学生の郷土学習だけでなく、新選組ファンや歴史愛好家の“巡礼地”としても人気です。

    また、陣屋跡の周辺には当時の面影を残す町家や酒蔵が点在しており、流山本町エリアの歴史的景観とあわせて散策するのもおすすめ。春や秋にはまちあるきイベントや、ガイド付きの史跡ツアーが開催されることもあり、地域全体で幕末の歴史を後世に伝える取り組みが続けられています。

    近藤勇陣屋跡 クチコミ・アクセス・営業時間|柏・流山【フォートラベル】

    近藤勇陣屋跡

    第22回流山新選組まつり 2025/4/4-15に開催。 – 新選組倶楽部

    明治〜昭和|県庁所在地と軽便鉄道の開通

    1889年には町村制の施行により、「流山町」が正式に誕生しました。そして1916年(大正5年)には、流山軽便鉄道(現在の流鉄流山線)が開通し、物流や通勤の要衝としての地位を確立していきます。沿線には商店街や住宅地が形成され、地域経済の発展とともに、人々の暮らしを支えるインフラとして成長しました。

    この鉄道は、やがて「流山電鉄」「総武流山電鉄」と名称を変えながら、現在も「流鉄株式会社」によって運行されています。西武鉄道グループからの独立後も、JR武蔵野線との接続駅である「馬橋駅」から「流山駅」までを結ぶ路線として、地域住民の“足”として日常的に利用され続けています。

    また、流鉄流山線は関東でも数少ない「単線・非電化」の私鉄路線としても知られており、レトロな車両と相まって鉄道ファンの間でも密かな人気を集めています。地域との結びつきが強く、駅周辺で開催されるイベントや商業活動にも貢献しており、単なる移動手段を超えた「地域文化の一部」となっています。

    流山町 – Wikipedia

    常設展示(8 葛飾県・印旛県の誕生)|流山市

    葛飾県印旛県庁跡 – Wikipedia

    流鉄について|沿革|流鉄

    現代の流山|TX開業と歴史共存のまちづくり

    2005年、つくばエクスプレス(TX)の開業は、流山市の都市構造に大きな転機をもたらしました。中でも「流山おおたかの森駅」周辺は、駅直結の大規模商業施設「流山おおたかの森S・C」を中心に、マンションや戸建て住宅、教育・医療施設が次々に整備され、都心近接型の高機能ベッドタウンとして注目を集めるようになります。

    さらにこの地域では、「流山グリーンチェーン戦略」と呼ばれる都市開発ビジョンのもと、住宅地や公園、教育施設が緑道で有機的につながる街づくりが進行。計画的な交通・緑地整備により、都市の利便性と自然のやすらぎを両立させたライフスタイルが実現されています。

    一方、旧市街地である流山本町地区では、白みりん醸造で栄えた歴史を活かした“歴史文化を核とするまちづくり”が行われており、江戸情緒の残る町並みや古い商家、酒蔵などが保存・再活用されています。

    行政の子育て支援策も高く評価されており、若年層の流入が続く「選ばれる自治体」としての地位を確立しています。

    また、教育・子育て施策にも力を入れており、「母になるなら、流山市。」のキャッチコピーで知られるように、待機児童対策や送迎保育ステーションの設置、働く家庭へのサポートが高く評価されています。こうした行政の取り組みもあり、若いファミリー層の転入超過が続く全国有数の自治体として存在感を強めています。

    つくばエクスプレス線 | これまでの整備実績 | 鉄道建設 | JRTT 鉄道・運輸機構

    流山グリーンチェーン戦略|流山市

    発展する都市機能|商業施設と教育インフラの充実

    流山おおたかの森駅周辺には、大型ショッピングモール「流山おおたかの森S・C」や、アウトレット機能を持つ「おおたかの森フラップス」「こかげテラス」などが次々に開業し、買い物や飲食、娯楽を一体で楽しめる都市機能が整備されました。これらの施設は、近隣市からの来訪者も多く、流山を広域的な生活圏の中心地へと押し上げています。

    また教育面では、2008年創立の千葉県立流山おおたかの森高等学校(旧・流山中央高校と東高校の統合校)が注目されています。同校は普通科と県内初の「国際コミュニケーション科」を設置し、先進的な教育体制を展開。地域の学びの中核として、子育て世代から高い支持を集めています。

    こうした商業・教育の両面でのインフラ充実が、TX開業後の人口増加を支え、現在の流山の都市魅力を形作っているのです。

    流山おおたかの森S・C

    HOME – 流山おおたかの森高校

    まとめ|流山は“歴史と近代が融合するまち”

    流山市は、約3万年前の旧石器時代から人の営みが確認され、江戸時代には白みりんの醸造で商業的に栄え、幕末には新選組・近藤勇が滞在した歴史的舞台ともなりました。さらに明治期には一時的に県庁所在地となり、鉄道開通によって近代化の礎が築かれ、そして現代ではつくばエクスプレス(TX)沿線開発により、都心近接型の住宅都市として飛躍的な発展を遂げています。

    こうした時代ごとの積層的な歴史と、地域に根ざした文化資源が、今の流山の魅力を形作っています。白みりんの製造技術や歴史的町並み、近藤勇の陣屋跡といった史跡は、市民の手で大切に守られ、まちのアイデンティティとして息づいています。

    流山を訪れる際は、新しく整備された街並みや利便性だけでなく、静かに残る歴史の面影にもぜひ目を向けてみてください。
    古代から現代へと続く“時間の流れ”を肌で感じられるまち、それが流山です。

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